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hiro-ishi/RockeyForMe

 
 

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Rockey For Me

このプロジェクトは、映画『ロッキー』(1976)に対する個人的なポエムです。技術的なものでなくてごめんなさい。 そして、40年も前の映画に対して言うのも変な言い方ですが、この文章は多分に本作のネタバレを含むことをご留意ください。 ロッキーシリーズはすべてアマプラで観れるので、観てない人はよろしければ、絶対、観て、観て。観ろ。

平成頭に産まれたわたしと『ロッキー』

『ロッキー』という映画を知っているだろうか。 観ていなくとも、まったく知らない人はそうそういないと思う。

『ロッキー』は、ボクシング映画だ。 ボクサーとしては老齢(30才くらい)の、くすぶったオヤジボクサーが奇跡の試合を繰り広げる映画だ。

わたしが産まれたころにはすでに『ロッキー』は5作品(当時は最終作といわれていたっぽい)も出ており、

  • ロッキーといえば生卵
  • あの音楽とランニング
  • エイドリア~~~~ン

といった「ロッキーの記号」がすでに身の回りに共有されていたように思う。 実際に金曜ロードショーなどで断片的に観ては、生卵を一気飲みするシーンを兄と真似したりしたのを覚えている。

わたしは生きていく過程で、自ずと「ロッキー」という存在を軽くみてしまっていた。

時は流れ大人になり、わたしは人並み以上には映画を観る人になった。 スタンリー・キューブリックにハマったり、『悪魔のいけにえ』やロメロ版『ゾンビ』を観て衝撃を受けるなど、 新旧問わず映画を楽しめる人になっていた。むしろ70年代・80年代の洋画を好んで鑑賞するようになった。

それでも『ロッキー』は観なかった。 なんとなく知っているし、(今思うと本当に愚かだが)「どうせご都合主義のよくある感動ストーリーでしょ?」などと斜に構えて敬遠していた。

そんな私がどうやって『ロッキー』に出会ったか。 そんなものは単純で、アマプラで観れたから。

作業用BGMとして映画を観ることも多い私は、趣味プログラミングの傍ら、PCのサブモニターで『ロッキー』を再生した。

「チャンスの国」で誰にも相手にされてこなかったロッキーと私

ロッキーはとことん「持たざる者」である。

ボクサーとしての寿命を迎えつつあるというのに、一度もスポットライトを浴びることなく生きてきた。 ドサ周りの場末でリングに上がり続けるも、友人もジムの仲間ですら誰一人彼の試合を見に来ることもなく、期待もされていない。 瞼を切られ、顔をぼこぼこにされながら勝ちをもぎ取っても明日の飯代程しか稼げず、借金取りのバイトをすることで何とか生きている。 そもそも当時(1976年)のヘビー級ボクシング界は、かつての20・30年代とは違い、モハメドアリの台頭から黒人の時代となっており、イタリア白人のロッキーには居場所がなかった。 天涯孤独で愛される者もなく、友人(これがまた稀に見るレベルの変人なのだが)ポーリーが内気な妹をもらってやれと言ってきても、当の本人エイドリアンは一言も返してくれず、目も合わせてくれない。

ぼろぼろのリングでずたぼろになりながらなんの目的もなくただ試合をこなす日々。 試合後に行きつけのバーにふらふらと寄ると、

「ロッキー、その顔どうしたの?」

「ああ、試合だったのさ。」

「相手は?勝ったのかい?」

「スパイダーさ。2ラウンドノックアウトだ。お前に見せたかったぜ。」

「お前に見せたかったぜ」

「お前に見せたかったぜ」

・ ・ ・

彼が勝とうが負けようが、彼の周りの世界は何一つ変わらない。ただくたびれた男が、明日生きるカネを手にし、ついでに顔を腫らすだけである。

そんな男が運命のいたずらか、いきなり48戦無敗のチャンピオンと世界一を賭けてリングに上がるというのがこの映画である。

…運命のいたずらにもほどがある。 あきれる前に待ってほしい、このいたずらとはすなわちこんな寸法だ。

  1. 無敗のチャンプ、アポロ・クリードは正月にタイトルマッチを控えていた
  2. 挑戦者がタイトルマッチの5週間前に拳を負傷し、出場できなくなった
  3. 他の候補者も諸々の事情で予定が埋まっており、そもそも5週間でチャンプと戦うレベルまで仕上げる気のある選手などいなかった
  4. チャンプは「チャンスの国」アメリカなのだからと、無名の選手に千載一遇のチャンスを与える特別企画にしようとロッキーを対戦相手に指名した

なるほどそれならしかたない。 無名ボクサーにとっては涎モノである。 たった一日、たった一試合やるだけで、1500万ドルと、世界一強い男という名声を得られるのだから。勝てればの話だが。

ロッキーの住むフィラデルフィアは大いに盛り上がった。 道で会う人たちが、さも旧知の間柄かのように口々にこういうのである。

「何か困ってることはないか?なんでも手伝うぜ」

「準備に何かと物入りだろ?とりあえずこれ取っとけよ」

「ロッキー、広告会社にお前の名を売り込んだらどうだ?二人で儲けようぜ」

ロッキーはうつむき、興味なさげに曖昧な顔をする。

「ロッキー、お前は幸運なやつだ。だが勝つにはお前に足りないものがある。何かわかるか?マネージャーさ。全盛期の俺に足りなかったものだ。 やっとお前の才能を活かす時が来たな。俺がお前についてやる。」

このボクシングジムのオーナー(つい先日、ロッキーのロッカーをずた袋に追いやり、抗議する彼を怒鳴り散らして追い出した)の言葉に、 初めてロッキーは大声で返すのである。

「俺は15年前にそうしてほしかったんだ!」

「これは俺の戦いだ!帰ってくれ!」

それを聞いて未練そうにオーナーがロッキーの部屋を後にしたのを認めた後、ロッキーは一人で叫ぶのだ。

「全盛期がなんだ!俺には、おれにはそんなものもなかったんだ!」

「いまさら誰もかれもが俺にまとわりつきやがって!」

「おれには一度もチャンスなんてなかったんだ!」

「やってやる、やってやるぞチクショウ!」

これはもう、ただのボクシング映画ではない。 ご都合主義のお涙頂戴映画では決してない。 (そもそも、作品に対して斜に構えるそういう態度が良くない)

この映画は、「チャンスの国アメリカで」やるかやらないかの選択をするチャンスすら与えられなかった男が、最後のチャンスで「やる」と決める映画なのだ。 きっとそうなのだ。確か故・淀川先生もそんなことを言っていた気がする。


わたしだって産まれたからには何かを残したい。 誰にもわたしの存在を知られずに死ぬのは怖い。 死んだ後に、「わたしである」と誰かに感じてもらえる何かを残すまでは死にたくない。

何度もゲームやアプリを作ろうと挑戦し、挫折し、何も世に残せずに三十路が迫っている今の私にとって、『ロッキー』は私の心の深いところをしっかりと掴んだ。

「俺はクズ(Nobody)だった。でも最後のゴングが鳴った時に、リングに立っていられたら…」

ポーリーの妹エイドリアンとロッキーは、互いに支えあう仲になった。 ペットショップのパートタイム以外は家にこもり、30近くにもなるのに誰とも交流のなかったエイドリアン。 ファイトに明け暮れる毎日で一見彼女とは正反対のロッキーが彼女の心を融かすことができたのは、 生きる目的もなく、誰にも求められずに生きてきた孤独を分かち合えたからだろう。

試合前の夜、ロッキーは横で寝るエイドリアンに言う

「無理だ、勝てない」

「相手は世界最強の男なんだ」

「俺はクズ( Nobody )みたいな男だった」

「最後のゴングが鳴ったそのとき、まだリングに立ってることができたら…」

「俺がゴロツキじゃないことを、初めて証明できるんだ」

そして次の日、試合のゴングが鳴る。 最初は無名選手相手に侮っていたアポロから早々にダウンを奪うロッキー。 それをきっかけに本気になる世界最強の男アポロ。

大方の予想は大きく外れ、どんなにアポロが本気で叩いても、ロッキーは立ち上がり、試合は長引いてゆく。 最終ラウンドのゴングが鳴る。 ついにアポロはロッキーの心をくじくことはできなかった。

自分の存在を初めて証明できたロッキー。 彼は勝負の判定を聞くことさえも忘れ、産声のようにエイドリアンの名を叫ぶ。 それに呼応してリングに飛び込み、ロッキーに抱き着くエイドリアン。

「愛してるわ、ロッキー」

Nobody だったふたりが、Somebody になった瞬間だった。


なにも世界チャンピオンになりたいわけじゃない。 でもわたしは、わたし自身が Nobody であることを知っている。 映画冒頭のロッキーほどゴロツキじゃないけど、残念ながらわたしは Nobody だ。 そんな Nobody のわたしを、いつでも焚きつけてくれるのがこの『ロッキー』なのだ。

Nobody であることに慣れてしまったとしても、この映画を観ると、Somebody になるまで死ねないと、そう背中を押してくれるのがこの映画なのだ。

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映画『ロッキー』(1976)に対する個人的なポエムです

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